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「佐渡島の金山」世界文化遺産登録推進事業
佐渡金銀山の歴史は古く、平安時代の「今昔物語集」の記述によると少なくとも十二世紀頃には砂金がとれる島として知られていたようです。相川金銀山が1601年に開山され、江戸幕府直轄の天領となり開発が進むと、世界有数の産出量を誇る日本最大の金銀山となります。この佐渡金銀山で産出された金銀は貨幣として使用され、佐渡・相川から小木、そして海路を挟み、出雲崎港に陸揚げされてからは主要ルートである北国街道、そして追分宿(現在の軽井沢)から中山道を経て江戸城まで運ばれ、幕府の財政を支えました。
江戸まで運ばれた総距離約400キロにも及ぶ輸送経路を「金の道」または「御金荷の道」と呼ばれており、沿線各地には今もなお数多くの歴史文化が残されています。
御金荷の道
金の道 PICK UP!
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